品川神社に参拝してきました。
1187年 源頼朝が洲崎明神(千葉県館山市)から天比理乃命を勧請したのが始まり。
1319年 二階堂貞藤(道蘊)が宇賀之売命を勧請。
1394年 鈴木正清入道幸純なる人物が社殿を造営(再築?)。
1457年 太田道灌が牛頭天王(素盞鳴尊)を勧請 (後花園天皇/足利義政の時代)
1694年 社殿焼失・再造営 (5代徳川綱吉の時代)
1850年 社殿焼失・再造営 (12代徳川家慶の時代)
1964年 社殿再造営(老朽化の為)
祭神
- 天比理乃咩命(アメノヒリトメノミコト)
- 素盞嗚尊(スサノオノミコト)
- 宇賀之売命(ウガノベノミコト)
天比理乃咩命は天太玉命の后神だということですが不勉強でよく知りません。
宇賀之売命は穀物・食物の神で稲荷神(お稲荷さん)。スサノオと神大市比売命(カムオオイチヒメノミコト)の子。
牛頭天王(ごずてんのう)は仏教の神だが神仏習合でスサノオのこと。
多くの人が品川だと思っている品川駅辺りは高輪であって品川じゃない。それどころか港区だし。
本来の品川というのは品川駅より1.5km近く南にある目黒川を挟んだ辺り。昔は現在の目黒川のことを河口近くでは品川、もう少し上流側はこりとり川と呼んでいた。神田川の飯田橋から早稲田辺りまでを昔は江戸川と呼んでいたのと同じような感じですかね。
現在の目黒川は大龍寺辺りから河口までの約600mを一直線に東に流れているが昔は現在の北浜公園辺りから北に曲がりS字を描いて天王洲橋辺りが河口だった。
そのS字になっている辺りは北品川。京急本線の北品川駅は地名に一致した駅名。
ところが、これで京急本線は品川駅の南側に北品川駅があるという訳がわからない状態に。
JRの品川駅はしかたないにしてもせめて京急だけは品川駅を高輪駅、新馬場駅を品川境橋駅とか青物横丁駅を南品川駅とか地名と合った名前にすれば解りやすくなったのに。
最寄り駅は京急本線の新馬場駅で北口を出て道を渡った場所が品川神社。東京モノレールと東京臨海高速鉄の天王洲アイル駅(1.3km徒歩約16分)。JRの品川駅(1.3km徒歩約16分)と大崎駅(1.5km徒歩約19分)。
青の太線は昔の目黒川(品川)の川筋の想像図。地名を基に線を引いているので正しくないかも。
こちらは品川駅の港南口(東口)で高層ビルが並んでいる。真向かいの1ブロックだけ何故か雑居ビルでゴチャゴチャだが。
こちらは品川駅の高輪口(西口)。後ろに見えている港南口側のビルが無ければ昭和っぽい雰囲気。
高輪口の向かいのプリンスホテルは既にクリスマスツリーの照明を始めてた。
時間的に前の写真と前後するのでまだ明るいが、第一京浜の道沿いに品川神社がある。こんもりとした丘になっている。
品川神社の鳥居。鳥居の柱に龍の彫刻がある。写真に写っているのは下り龍。反対の柱には昇り龍。光の具合でよく解らない状態だったので昇り龍は撮っていない。
外の大鳥居を入り階段を登った奥。写真は逆向きで中から外方向を撮っている。
ここにも包丁塚がある。右下の石が研ぎ石みたいな平らな面の形が包丁みたいな、何でしょう?
神楽殿。
拝殿。
拝殿の右側に阿那稲荷社がある。写真は阿那稲荷社の上社。天の恵みの霊が祀られている。
こちらは上社の脇の石段を降りたところにある下社。地の恵みの霊が祀られている。
下社の中に一粒萬倍の泉(いちりゅうまんばいのいずみ)という名前の霊泉がある。小さめのザル(写真中央下方)があるので印鑑やお金を入れて洗うと、その名の通り1万倍に?今回1万円札を洗ってきたので1億円に増えるといいな。
体力が切れたのでこのまま直帰してしまったのだが、鳥居から階段を登る途中で道が分かれて富士塚に行けるみたい。
写真に写っている道路奥の高架は京急本線。
御朱印。
これで東京10社は一応巡り終えました。