午後の講演会 (第11回 鎌刃城まつり)

午前中は番場城北条仲時の墓を訪れた。午後は蓮華寺で講演会。

鎌刃城まつり 講演会 1
13:00過ぎ。凄い轟音がするので見上げたら編隊飛行中。飛行機マニアじゃないので機影を見て「T-4だ!」とはならない。
っていうかDSC-RX100の光学ズームいっぱい(3.6倍)撮影の等倍現像でこれなので当然だけど目では飛行機のディテールなんかわからない。

鎌刃城まつり 講演会 2
午前中訪れた北条仲時の墓のある六波羅山の上。どうやら「がとらぼ」の中の人が仲時の墓に参ったことを祝福してくれているらしい。
中央右寄りと右上の方の黒い点のようなのが飛行機。
実は「国宝・彦根城築城410年祭」のブルーインパルス展示飛行らしい。蓮華寺からちょうど彦根市方向に六波羅山があるってだけ。
スモーク吐き始めて慌ててカメラのスイッチ入れたら撮影できる状態になったころにはとっくにスモーク吐き終わってた。

鎌刃城まつり 講演会 3
会場は蓮華寺に完成したばかりの「研修道場」とのこと。前回訪れたときはまだこの建物は工事中だった。上の写真はイベント終了時に撮ったものなので建物から人が出てきてる。

鎌刃城まつり 講演会 4
2階の大きな部屋。アレっ?ガラガラじゃん。

鎌刃城まつり 講演会 5
と思ったら皆さん廊下でブルーインパルスの展示飛行を見てたのね。

鎌刃城まつり 講演会 6
今年の4月6日に鎌刃城が「続日本100名城」に選定されたことの認定書贈呈。
続日本100名城の選定は財団法人日本城郭協会だけど今回のイベントでは米原市の人が鎌刃城を保守整備している地元の歴史の会?「番場の歴史を考える会」の会長の人に渡してた。
右側のオレンジの服のオジサンは午前中同行してて地元の会の人でボランティアでガイド役として参加してるのだろうと思ってけど代表だったのね。シツレイシマシタ

鎌刃城まつり 講演会 7
講演会1
「佐和山城・彦根城からみた鎌刃城の特徴 - 城内施設の米蔵を考える」
講師: 彦根市教育委員会文化財部文化財課 下高大輔氏

鎌刃城まつり 講演会 8
鎌刃城 その4の記事の6枚目7枚目の写真の曲輪に建てられていたであろう建物についてその容積を計算し、破城の際に運び出す米の目録(2000俵)と比較。また、城の米蔵がどのような位置に配置されるか佐和山城・彦根城の米蔵の場所と比較。

鎌刃城まつり 講演会 9
鎌刃城の建物のCGとして有名になっているような大櫓的建物ではなく米蔵だったのではないかという考え方もあるんじゃね?というお考えを披露された。

個人的には柔軟な考え方をすることには賛成だけど、結構急な山の上にある詰めの城に年貢を集めて保管というのは現代の常識で考えると疑問に思った。もちろん現代の常識で考えるのはおかしいし日本人は昔から何かと非合理的なことをするのが好きなので絶対に無いとも思わないけど。
でも、年貢米の保存用じゃなく城で使うための米と考えても2000俵は籠城用としても城番の生活用としても多すぎるのでそんなに大量に置くかなと。

これが鎌刃城と番場城を合わせて大きな意味での鎌刃城として、番場城の山の麓の屋敷群のところに米蔵があったと考えるという意見だったら素直になるほどと思えたかも。

鎌刃城まつり 講演会 10
講演会2
「井伊家の基礎を築いた直政・直孝」
講師: 彦根市教育委員会 井伊岳夫氏
戦国以前からの井伊家の家系や歴史について説明されました。
戦国時代からの井伊家の歴史は面白いと思うんだけど、NHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」観てないから次郎法師の話を織り交ぜられるとキョトーンですわ。年寄り受けはするんでしょうけど。
NHKもいいかげん無理くり女性前面押しの変な作りのドラマとか止めて昔のアメリカのテレビドラマであった「ルーツ」みたいな家系を綴る形式で井伊家(に限らず)のドラマ作ってくれたらめっちゃ良いのができると思うんだけどなぁ。視聴率は知らん。

講師の井伊岳夫氏は彦根藩の藩主の家系で現在は当主なので世が世ならお殿様。「直」の字はどうしたと思ったら婿様らしいのでまぁそりゃ「直」が名前についてなくても仕方ないですわな。

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北条仲時の墓 (第11回 鎌刃城まつり)

今回、「鎌刃城まつり」に参加したのは北条仲時の墓が行き先の一つにあったから。実は蓮華寺を訪れたときに北条仲時の墓を見たくて六波羅山の麓(直孝神社周辺)をウロウロしたんだけど獣よけの柵がグルっと巡らされていて山道も見つけられず諦めたのでこのイベントはまさに渡りに船。

オレンジ色のマーカーは北野神社鳥居前。
青色のクエスチョンマークのマーカーは北条仲時の墓。
オレンジ色のルートは間違いない筈のルート。
黄色のルートは推定で作った怪しいルート。
今回スマホのバッテリー切れでGPSロガーを使用できなかったので山道部分は何処をどう通っているか不明。肝心の北条仲時の墓の位置も不明、スンマセン。

北条仲時の墓 1
鎌刃城まつりの集合場所である西番場公民館の北隣りが北野神社。この鳥居前からスタート。

北条仲時の墓 2
神社の橋を渡らずに写真の中央のポールから右に折れて川沿いを進む。

北条仲時の墓 3
獣避けの電気柵が巡らせてあるので写真の位置(神社前で右折してから150m)の扉から入る。獣避けの為の柵と扉なので通ったら必ず閉める。
写真では人が山から出て来てるけどこれは復路で撮ったもの。

北条仲時の墓 4
鉄塔まではわかりやすいはっきりした山道。分岐は途中に変電所への道の1箇所。左折せずに直進でOK.

北条仲時の墓 5
送電線の鉄塔の左側(西側)を回り込む。

北条仲時の墓 6
鉄塔の柵から撮影。写真では光の反射で屋根が白く写ってるお寺(写真中央から左寄り)が蓮華寺。写真右上の高い山が蓮華寺の山号である八葉山とのこと。

北条仲時の墓 7
鉄塔の西側からは草の生い茂った獣道のような道になる。道がわかりにくいので張ってあるビニール紐が左に見える位置を進めば良いっぽい。

北条仲時の墓 8
暫く進んで頂上を過ぎた辺り?で東側の斜面を少し下ったところに五輪塔がある。でも、初訪問で独力で見つけられるかわからない感じ。

北条仲時の墓 9
意外と大きな五輪塔。

北条仲時の墓 10
説明では30年くらい前までは五輪塔はバラバラになって石が地面に転がってたそう。

北条仲時の墓は先の番場城に比べると少しだけ体力要るかも。落ち葉や石で足元がとても滑りやすいので滑り止めのしっかりした靴(と杖)を用意するべき。

蓮華寺に自刃した一族430余人の墓があるのにリーダーの北条仲時の墓だけが蓮華寺の向かいの山中にあるのは謎。理由の書かれた文献などは無いっぽい。
伝承?では井伊の殿様(誰?)が馬に乗って蓮華寺の北条仲時一族の墓の前を通ったら北条仲時が夢に出てきてめっちゃ怒られたので馬で見下ろせないような山の上に墓を移したというのがあるらしい(ネットで検索した)けどちょっと無理のありすぎる話かな。

北条仲時の墓 11
で、六波羅山という名前だけど地元の人の多くは知らないらしい。直孝神社のある山っていえば通じるとか。
じゃあ何で六波羅山って名前なの?ってことだけど結局のところ中山道分間延絵図の番場宿の絵にそう書いてあるからということみたい。上の画像はその中山道分間延絵図の番場宿の絵の約1/3部分。左上の緑塗りの山の部分に縦書きで六波羅山って書いてあって、その右横に「北条越後守仲時塚」って書いてある。(上の画像は縮小しているので読めないかも)
つまり、中山道分間延絵図が作成された1800年頃にこの辺りに住んでいた人たちが「あの山は六波羅山で仲時の塚があるよ」っていう認識でいたらしいことを示しているだけ。結局それより前の460年ほどの経緯は解らない。

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