鎌刃城 その5

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木が少し痩せて針金が少し浮いているようにも見えるが、しっかり組んであるので今のところは崩れはしなさそう。(2016年5月現在)
これから何年も先に訪れる人は登る際には木が腐ってないか、針金がちぎれてないか確認してから登ってほしい。関係者が点検してるだろうけど、もしも崩れたら丸太と一緒に斜面の下まで落ちることになるよ。
実際に登ってみたら合板の床板が水を吸って劣化しているのかブヤンブヤンして怖い感じ。

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その台の上から北北西方向を撮影。主郭の虎口と同じ向きだが、こちらの方が木が邪魔しないので視界が広い。

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前の写真の右側、方向は真北。中央手前の山、(写真中央から僅かに右下)見えにくいが送電線用の黒い鉄塔があるところ(鎌刃城から2kmちょっと)が地頭山で地頭山城があった。この近辺は山があれば上に城があったと言っても過言でないくらい城だらけ。

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撮影した台の西側から下ると大堀切がある。

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大堀切の案内板。

大堀切(おおほりきり)
城の北方を防御するための主要施設であり、鎌刃城跡の中でも最大規模を有する堀切です。堀切の最大幅は約25m、堀底までの深さは約9mを計ります。現在の大堀切は長い年月の間に斜面崩壊が進み、深さも浅く傾斜も緩やかになっていると思われます。それでも見る者を圧倒するそのスケールからは、当時の防御能力の高さが偲ばれます。
米原市教育委員会

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深い堀切。たしかに向こうから敵が攻めて来ても矢で応戦し易そう。

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大堀切の底から北郭の西側に回り込む道を進むとこの城自慢の石垣が現れる。暗い場所で苔が生えてるので判りにくいが中央の白っぽいものがいっぱいあるのが石垣。

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更に南側に目を移すとこの斜面が全体的に石垣。ただし、見ただけだと石垣の境はよく解らない。石垣の一つ一つの石は大きくなさそう。

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大堀切の先はもう一つほど堀切があってそこが城の防御エリアの最北端。
北郭に戻る。 鎌刃城の「水の手」がある。城を使っていた当時も青龍の滝から水を引いていたとのこと。瓶の中は一見綺麗な水だが、堆積物が大量で水を少しでもかき回すと泥水状になる。洗った手が乾くと臭いもするので使わない方が良いかな。

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現在はパイプで水を引いているみたいだが盛大に漏れている。そのせいか一つ上の写真の瓶には水が注がれてはいるものの水量がとても少なく勢いがない。そのせいで瓶の堆積物がすごいことになっているのかも。

全部書くのはどうかと思うので見どころの一つである西郭を省略。

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鎌刃城 その4

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物見櫓の一番上に出てみた。尾根の上の櫓ですぐ下は急斜面、床板も少しブワブワしてるのでまっすぐ立つのは怖い。
でも、景色は最高。写真は南西を向いて。右が琵琶湖。ちょうど中央の山は「三成に過ぎたるものが二つあり」のうちの一つ「佐和山の城」があった佐和山(だと思われる)。
その奥の市街地が彦根市。彦根城は佐和山に隠れているらしく見えない。中段の左に見えている山はおそらく荒神山(こうじんやま)と思われる。観音寺城があった繖山ではない筈。中央右寄りに見える島はおそらく琵琶湖最大の島の「沖島」。

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ここにも枡形虎口がある。

枡形虎口(ますがたこぐち)
平成10年度の発掘調査によってその全貌が明らかとなった門の跡で、約5m90cm(3間)四方の規模があります。位置的に城の大手門に相当すると考えられます。検出状況から、その構造は「コ」の字状に三段の石段もしくは石垣を配し、内部に礎石立ちの四脚門が建っていたと想定されます。四脚門は間口約3m90cm(2間)×奥行き約2m90cm(1間半)の規模を測ります。大型の礎石を採用していることと、発掘調査時に多量の鉄釘類が出土したこととを考え併せると、相当立派な門であったことが覗い知れます。
平成11年度には、この遺構を広く公開し、一般の方々に文化財保護について関心を持ってもらうために、保存整備工事を実施いたしました。極力現状での保存をこころがけてはいますが、耐久性の問題や遺構の残存度が低く当時の形が判りにくい部分については一部想定復元をしています。
米原市教育委員会

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その枡形虎口がこれ。この虎口は東北東を向いている。やっぱり急斜面に面しているような・・・

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虎口を出たところに早速岩がある。その下から虎口に向かって撮影。中央上部にみえる黒い筒のようなものは焼却炉の煙突。狼煙用の発煙筒じゃないよね?

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虎口前を更に降りたらこんな感じ。大手門に相当と言われてもその前の道はこれで良いの?それとも土砂崩れか破城時に壊したのか。

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北郭の中央部、先ほどの焼却炉の煙突の北側にある案内板。(西向き)

曲輪(くるわ)
この曲輪は鎌刃城の北端を防御する重要な役割を果たしていました。周囲には削り残して作られた土塁がめぐらされています。
平成10年度に実施された発掘調査によって、柱間を六尺五寸とする五間×三間以上の礎石建物が検出されました。この建物は土塁を壁面とする半地下式構造の櫓であったと考えられます。
出土遺物には瀬戸美濃産の天目茶碗や中国製の白磁皿のほか、大量の鉄釘などがありました。
米原市教育委員会

曲輪って書かれると何処のことかわからないけど常識的にはこの北郭の今居る段の平地部分全部を指している?

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その曲輪の案内板の奥に四角くロープが張られた場所があるが、このロープが張ってある部分を曲輪だって言ってるわけではないよね? 。少し窪んでいるだけなので半地下式の櫓の想像がつかない。この時代の櫓というと先のアーチャータワーみたいなのを思い浮かべるんだけど山城で立派ってどんなレベル?

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ロープで囲われた部分の反対側(東向き)。こちらには大櫓跡と書かれている。
このロープは大櫓があったと思われる場所を示すものだよね?

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平地部の端、大櫓跡の北側。ここにも急斜面の際に木で何か組んである。大櫓の横と考えると物見櫓ではなく下から登ってくる敵を攻撃するための台を模したもの?

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向きを変えただけで同じ台。はしごがあって登れるみたい。

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