曲がってしまったアンテナを支えてみた (思った以上に失敗した例)

カラスの攻撃
©いらすとや.

アンテナが自身の重みまたはカラスのイタズラ?で曲がってしまうのでアンテナケーブルをパテで固めるという記事を以前に挙げた。
これでアンテナケーブルが曲がってアンテナエレメントを支えられなくなるということはなくなったが、針金アンテナ全体を支えるのに同軸ケーブルの芯線と網線だけでアンテナと給電部を保持する構造だったため、その弱い部分が風(や鳥)の影響などで数ヶ月という短い期間で曲がってしまった。前回ほどの盛大な垂れ下がりではないにしろ30°ほど向きが曲がってしまうとイヤでも気になる。今後これ以上悪化させないために根本的に曲がらないようにしたいと思った。

アンテナ改修 失敗例 1
直径3mmの針金アンテナ全体を支えるにはRG-58Uケーブルの細い銅の芯線とヤワヤワな網線では無理があった。そこで針金アンテナ自体を支柱で支えようと考えた。しかし、プラスチックの支柱にアンテナエレメントを直接接触させるとアンテナの特性がブレブレ。アンテナに触れる部分の素材を幾つか試したところ比較的良好だったのが写真に写っている樹脂プレート。その樹脂プレートにタイバンドで針金アンテナを固定した。
樹脂ブレートに針金アンテナをギチギチに固定することでアンテナの特性がブレまくるということはなくなるようだが、アンテナエレメントが物体に触れることで特性自体が変わるのは避けられない。今回は樹脂に触れることで1090MHzに合わせていた特性が950MHzあたりに変わってしまった。そこで1090MHzに合わせるためにエレメントの両端を12mmほど切断した。(実際にはVNAで計測しながらヤスリで削り落とした)
しかし、アンテナを支柱に取り付けるためにケーブルをアンテナの短いエレメント(給電部含む)と並ぶ方向にしたのが良くなかったかもしれない。アンテナエレメントと垂直にアンテナケーブルが出るようにした方が良いというのをどこかで見たので、これは良くなかったかなと後悔している。

アンテナ改修 失敗例 2
アンテナ近くのバンドパスフィルタを収めた新しい防水ケース。簡易防水なので防水性能を信用できない。そこでケースの蓋を閉じた状態でシリコンパテでシーリングした。元の予定ではLNAとバイアスT(の直流停め用)も収める筈だったが、新しく購入したLNAが動作試験で早々にぶっこわれたので今回はバンドパスフィルタだけをケースに収めた。最近1ヶ月ほどLNA無しの運用だったが今後も暫くはLNA無しで。

アンテナ改修 失敗例 3
590MHzから1590MHzの広い範囲でのSWR(右グラフ赤線)を見た。(右グラフの中央のマーカー部分が1090MHz)
エレメントの長い側のエレメントを削り落としたのでSWRで見る限りは狙い通り1090MHzで最も下がる状態。スミスチャートの青線も1090MHzでちょうど中心の50Ωになる。

アンテナ改修 失敗例 4
もう少し狭い範囲の990MHzから1190MHz。
1090MHzでSWRが1.06という良好な数値なので一見上手く出来ているように見える。

これで完成したつもりだったが、ADS-Bの受信状況は大幅に悪化。改造前(LNA無し時)の7〜8割程度の受信量になってしまった。
やはり、アンテナエレメントには何も触れさせない方が良さそう。それと給電部から伸びるアンテナケーブルはアンテナエレメントと垂直方向に取り付ける方が良さそう。そこで、次回はNコネクタを使ってアンテナ給電部に強力に固定させたいと思う。春節前日にNコネクタを注文したけど中国の春節連休明けて3日経ってもまだ発送すらされないので長らく待たされそう。

針金アンテナの方は、今回短くしてしまったので新しいのを作る予定。ホームセンターで売ってる「針金」じゃなくて金属の「棒」を買うとカンタンに綺麗なのが作れる。金属棒を直角に曲げるときは事前にしっかり曲げる位置を確認してペンチなどで1点に力をかけて一気に45°以上90°未満に曲げる。曲げ足りないのは追加で力を加えて目的の角度まで曲げれば良いが、曲げ過ぎたのを戻すのはNG。(強度が著しく下がって折れて千切れやすくなる)
力をかけたときに何処の位置でどのように曲がるのか事前に棒の不要な部分を利用するなどして確認しておくとより確実。

中都(北京) 大都(北京) 上都 平安京 江戸城を比べてみた

万里の長城
©いらすとや.

冬の北京オリンピックが始まりました。スポーツには全然興味がないけど「北京」からみで今回の記事を。
北京といえば、その名のとおり「北の首都」で、昔の中国は中原を取ったり取られたりの歴史だったのに、なんであんな北の辺境に都を置いたのか不思議だけど遊牧民に侵攻がからんでる。

現在の北京の辺りは昔の中国人にとっては(夏は暑いが)寒くて北から蛮族に侵攻される住みにくい辺境ではあったけど北方の遊牧民たちからすれば南の温かい土地。そこで10世紀にモンゴル遊牧民の国家である遼(契丹)は南京(南京析津府)を置いた。次に女真族(後の満州族)の国である金は12世紀に中都を置いた。モンゴル帝国(元)が金を滅ぼすとの元は大都を置いた。金の中都も現在の北京だが、元の大都とは位置がずれていて城周が南西の角で一部かぶる程度。城の外郭も含めれば半分に満たない程度かぶるみたい。中都は、紫禁城からは南西方向で、天檀の西、北京動物園の南に中心が位置していた。

北方遊牧民族の国家が中国に侵攻して置いた都だが、その後の明朝は朱元璋が南京出身ということで最初は南京を首都としたものの15世紀の靖難の変で永楽帝が北京に遷都したし、満州族の国家である清朝(後金)も最初は本拠地の盛京(瀋陽)に都を置いたものの17世紀半ばに中国に侵攻して北京に遷都している。


金の中都 (紫線の外枠は外郭の想像域)
右上の故宮博物院は大都の宮殿の場所。この宮殿は大都以降の城郭の中心的建物(紫禁城)。

元 大都 (北辺は土塁があることからおおよそ正しいと思われる城郭 外郭は不明)
紫禁城は大都の宮殿を改築したということと大都の宮殿は城郭の中央南部に位置したということなので場所は変わってなさそう。モンゴル人の支配者はこの中国式の宮殿を使わなかったということだが。
明朝と清朝では、宮殿(紫禁城)の位置は変わらずで城郭は大都の城郭をそのまま半分ほど南にずらした位置になる。
十分に巨大な城郭だが唐の時代の長安よりはひと回り小さい。

元の時代は大都(冬)と上都(夏)を季節で移動するという遊牧民らしい都間の移動があったみたい。上都はモンゴル帝国のフビライ/クビライが南宋に侵攻する際の拠点にし、後に大都に遷都。
上都は大都からほぼ真北に270kmほどの位置にあった。上都は砂漠寄りの草原の中にあるので現代人にとって住みやすい場所ではない。現在も全くの人外の地。(ユネスコの世界遺産になっていて開発できないというのもありそうだけど)


元 上都 (紫線の外枠は外郭)
フビライ自身は外郭に蒙古式の建物を作ってそこに居たという話があるようです。
現在は荒涼とした草原なので1辺2.4kmのほぼ正方形の土地は広大に感じるが中都や大都とくらべるとその城郭はずいぶんと小さい。南宋攻略の軍事基地ですが前線からは遠く離れた場所で攻められることは想定していなかったのか城郭の外も盛大に使っていたという話があります。

東方見聞録で有名なマルコ・ポーロは元への使節として夏の都である上都に訪問している。この上都の英語名はXanadu(ザナドゥ)。ザナドゥといえば「がとらぼ」世代の人はOlivia Newton Johnの歌をすぐに連想してしまう。


日本 平安京
平安京は結構大きな街だと思ったがモデルとなった長安城の3割に満たないサイズなので当然ながら大都よりはだいぶ小さい。まぁ平安京は城郭都市ではないので比べるのはヘンだが。

日本 江戸城
江戸城も比較してみた。江戸城は外曲輪でみると結構広い縄張りだと思ったが、ざっくり21km2ということらしいので平安京よりひと回り小さいみたい。(平安京を23.4km2とした場合)
なお、この21km2に八丁堀とか日本橋の東側(隅田川近く)が含まれているかは不明。
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